こんばんは。
今宵はとても美しい月が上っております。
通り雨を過ごしてやや雲がかかる夜空に、月は白金の輝きを放ち、鮮やかな丸い輪郭をかたどっていました。
なんでも中秋の名月ということで、古くからお月見を楽しまれている日が今日だそう。
雅で情趣のある満月を眺めて、詩を詠みたくなる貴族の気持ちも、今晩を過ごすと分かる気持ちがいたします。
月で思い出しますが、「月が綺麗ですね」というフレーズです。
もちろんそのまま意味で使うのも何ら問題ございませんが、これには意中の人に好意を表する言葉として用いられることがございます。
これは文豪の夏目漱石が英語教師として教鞭を執っている時、とある生徒が”I love you”を「我君を愛す」と訳しましたところ、日本人はそこまで直情的ではない、もっと婉曲的で回りくどいのだから、「月が綺麗ですね」と翻訳するのが適切だろうと指摘したのが発祥とされています。
実際のところは漱石がそのようなことを発した記録は残っておりませんし、歴史的信憑性も薄いため、俗説に落ち着くのが今日までの結論となっています。
とはいえ、歴史的信憑性なんて関係無く言葉だけ一人歩きしてしまうのが世の常です。
このエピソードは文学を少し掘り下げた者であれば周知のものですから、知ってしまった暁には随分な不自由を強いられます。
今宵のような月を見ても「今日は月が綺麗ですね」と誰それに言えないのですから。
仮に発した場合、それを耳にした者が漱石の俗説を知っていたらどうでしょう。
公然と告白をしているよう解釈されては自他共々紅潮するに決まっています。
つまりは満月を見たとしてもその表現に言葉を選んでしまって何だかまぁ窮屈な思いをするのです。現に私がその一人なのだから仕方がありません。
余計に考えず言いたいことを言おうと決心が着いた時も幾度かございますが、どうしてもこういう繊細な表現は直感的に避けてしまうのが癖となっていますから、もはや呪いといってもよいでしょう。
そんな呪いと一緒に私は今晩の月を眺めようと思います。
みなさまも良い夜をお過ごしください。