●1192年『いい国つくろう鎌倉幕府』800余年前の源頼朝による武家社会では、日本の中心地であった古都鎌倉/かまくら。鎌倉市役所観光課『鎌倉の歩き方』のご紹介コンテンツ。鎌倉商工会議所が主催する『鎌倉検定』がにぎわいを見せています。
鎌倉 鶴岡八幡宮
●源 頼朝(みなもと の よりとも)
平安時代末期、鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。
平安時代末期に河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定し鎌倉を本拠とする。弟たちを代官として源義仲と平氏を滅ぼし、戦功のあった末弟・源義経を追放し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦では奥州藤原氏を滅ぼすと共に、義経を倒す。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれた。この政権は後に鎌倉幕府と呼ばれ、幕府などによる武家政権は王政復古の大号令まで足掛け約680年間に渡り、存続することとなる。
Wikipediaより抜粋
なお、鎌倉幕府の成立は一般に広く認知されている1192年や1185年とされる説など諸説あるが1185年とする説が現在有力である。しかしながら学校などで教わる上では1192年とされることがほとんどである。